ナルニア国物語

私の大好きなナルニア国物語

本も映画も、好きなものを聞かれたら一番に挙げる。

映画の感想を書くことはあまりないし、殊ナルニア国に至っては、いまさら感満載だが、今日は本当に久しぶりに映画に没頭し、心がすっかり洗い流されたような気分なので、書いておきたいと思う。

 

今日見たのは、第3作「アスラン王と魔法の島」。壮大な海の冒険である。

第2作に引き続き、カスピアン王、エドマンド、ルーシー、そして今回からはいとこのユースチスが加わって、行方知れずとなったテルマールの7卿と民を探し、魔法を解くための旅に出る。

旅の途中で彼らが出会ういくつもの困難は、いずれも「悪」が姿を変えたものである。欲望や不安、恐怖。それらに悪が付け入り、試練となって襲い掛かる。

物語を通して一貫して語られているのは、真の敵は、目に見えるものではなく、自分自身の心、中でも目をそむけたくなるような負の感情であり、打ち勝つためには、自分自身に向き合わなければならないという強いメッセージである。

姉のスーザンに憧れるあまり我を忘れ、魔法を使ってしまったルーシーに対してアスランが言った言葉に、はっとした。「自分から逃げてはならない」。

 

今の私は、これまで積み上げてきたものを捨て、全く新しい未知の世界に飛び込もうとしている―困難を覚悟で自分で選んだ道なのだから、乗り越え、楽しむ気持ちで臨まなければならない、それはわかっているけれど、どうしても漠然とした不安を抱えてしまっている。

そこにこの「自分から逃げてはならない」という言葉は、ぐさっときた。「自分と向き合う」とか「自分で責任を取る」といった言葉では止められなかった心の揺れを、アスランの厳しい言葉が支えてくれた。言葉の否定形は、必ずしもネガティブではなく、時に、言葉の真意を素直に受け止める助けになることもあるのかもしれない。

これからは、困難の連続だろう。心が折れそうになることもあるだろう。でもそれは当たり前だ。初めての経験なのだから。考えもしなかった、全く新しい道なのだから。

そしてそれは、乗り越えられないものではない。乗り越えられない試練は与えられない。今までもそうだった。なんだかんだ乗り切って、ここまでやってきた。もちろん自分ひとりの力ではなく、感謝を常に忘れてはならないが、それでも、行動するのは自分自身である。

恐怖から逃げるな。「すごいことは、すごい人にしか起こらない」。誇り高くあれ。そういう人の姿はまた、ほかの人にも影響を与えるはずだ。気高き剣士、リーピチープのように。

 

話が少しそれたが、最後に映画の話に戻りたい。

旅の終わり、二度と戻れないにもかかわらず、リーピチープだけがアスランの国へ行ったのはなぜか。彼は剣士として一族を率いて数々の戦いで武功を挙げ、ナルニア奪還にも大いに寄与し、その後もカスピアン王に仕えた。冒頭の言葉から、カスピアン王はナルニアの各地を平定し、すでにナルニアに平和が訪れていることがわかる。そして今回の航海で、魔法を解き、民を取り戻したことで、剣を必要とする戦いや冒険が、一旦終息したと推測できる。すなわち、気高き心を貫き、十分にその役割を果たしたリーピチープは、生を全うしたとして、最後の波を超え、穏やかな世界に迎え入れられたということなのではないだろうか。

 

ドラゴンに姿を変えたことで、周囲と打ち解け、自身の強みを生かして役に立ち、恐怖に立ち向かう勇気を得たユースチス。アスランからはまたナルニアに戻る日が来ることを示唆され、映画の最後では、のちにユースチスと共にナルニアを訪れることになるジルの名前も出てくる。

これらから、続編の政策が予定されていたと想像できるが、残念ながらその後制作はされておらず、本作が最後となっている。

本当に本当に残念ではあるが、でも、物語は生き続ける。本の中で。そして、私たちの心の中で。

みさき